管理人の護国寺参り 2005年12月17日に行われた、一人OFF企画ですw
もともと管理人は、梶原一騎ものは好きでしたが、漫画としてもっとも好きだった梶原ものは ”プロレススーパースター列伝”のタイガーマスクの話 でした(佐山さんのやつね)。 管理人のガキの頃は、まだまだ新日全盛期時代で、その中でももっとも人気のあった実在のタイガーマスクが、 漫画で同時進行しているらしい と言うことで、ものすごく盛り上がっていました。オヤジもプロレスが結構好きだったので、結構見ることは多かったです。 ところが、ひょんな事から引退。ガキの雑誌情報ではその理由も全く不明。メジャーな番組に出演することは全くなくなりました。また、その後プロレスのゴタゴタがあり、現在のような大分裂を迎えるなんて想像もしておりませんでした… 青年時代になると、自分の中での漫画の需要は少なくなり、学生時代などは友人同士の付き合いの方が面白くて、そういうものからずいぶんと距離が置かれていました。 さらに時は過ぎ、学生生活は卒業。いよいよ社会人としての生活が始まりました。 ところが、とある会社に就職してから仕事の中の一つとして格闘技の情報を勉強しなければならなくなり、久々にその手の情報を入手しまくり。懐かしいことがいろいろ思い出される中、実は プロレスの歴史がガキの頃とがらりと変わっている ことに気がつきました。その分裂・崩壊の経緯を見て、子供の頃に夢見ていたものがぐちゃぐちゃに壊されたような感じがして、とっても悲しかったのを憶えています。 しかしながら、その時期に流行っていたみちのくプロレス・FMWなどのジュニア戦線に再び魅力を感じ、ライガー・大谷・サスケ・ウルティモドラゴン・人生・ハヤブサ等の活躍に注目していきました。ハヤブサと人生がタッグを組み、小橋に立ち向かう試合などは久々にプロレスに興奮した時期でした。たしか、カールスモーキー石井がハヤブサにニューデザインのコスチューム作ってたりしてたなあ…ダサかったけど。 それから、レンタルビデオ屋にジュニア戦線のビデオを借りに行ったりして、ようやく気づいたのが、 ”このジュニア級レスラー達は、 全て初代タイガーマスクに憧れてアクロバティックなレスリングを追求した” ということでした。再び感動を憶えた管理人… それからは、仕事のこともあってその時期に盛り上がりだしている格闘技の番組(K1・総合格闘技など)を見たり本を調べたり、プロレスの歴史本を古本屋巡りして手に入れたりしていました。この際に、プロレススーパースター列伝の”タイガーマスク編”を西荻窪の古本屋でゲット!古本なのに500円くらいしたw 水道橋のショップに逝って、タイガーマスクのレプリカマスク買おうか真剣に悩んだっけなあ…\25,000w さらに、普通に本屋に行っても格闘技本があるとなんとなく目を通したりしていました。そこでたまたま出会ったのが、この本。 そう、梶原一騎ファンのライターや編集者が作った、梶原一騎という人間自体の解説本”マンガ地獄変”でした。 (ネットで調べたら、この本続編”マンガ地獄変2”もあるらしい…) 梶原一騎のマンガ・原作は基本的に好きだけど、実際に持っていたのは弟の持ってた巨人の星・タイガーマスク、そしてプロレススーパースター列伝のみ。そして、プロレスの歴史を色々調べていくうちに、梶原一騎が 格闘技界に及ぼした影響や悪影響 もいろいろ知りました。ガキの頃なら耳をふさいでいたであろうことも… ソッコーで買い、読みまくる。もうこのあたりで、格闘技への興味ではなく、 作家・梶原一騎の奔放な人生と伝説、そして梶原マンガのヤバさ にとりつかれていった…ホントヤバイんだこの人w ところがその読み物の中で、マンガのことや本人のことだけでなく、ある人物との交流の部分が非常に濃く描かれていました。それが、大山倍達と梶原一騎の交流の部分だったのです。 晩年袂を分かつことになった二人の関係ではあるが、長年にわたりお互いにお互いを必要とし、協力体制で色々なものを作り上げていった。どうやら梶原一騎は、自分の行き方を信念で貫きその上最強だった大山倍達に憧れ、父親のような、いや、もしかしたら恋人のような思いを抱いていたのではないか、そんな風に思わせる色々なエピソードがあったらしい(愛憎含めw)。梶原一騎が空手バカ一代の後に書いた空手モノは、どぎつい内容のモノも含め、結局は大山倍達をモデルにして作っていたようだ。 ここで一気に管理人の視点が変わりました。 「この梶原一騎をここまで惚れさせ、狂わせる”大山倍達”とはどんな人物なんだ??」 正直、管理人はこの時点で総裁のことを詳しく知りませんでした。その名前、”空手バカ一代”というマンガが存在すること、極真空手、それくらいの単語しか知らなかったのです。あと、ゴリラーマンやぎゅわんぶらー自己中心派などのギャグマンガなどでコラージュネタに使われている有名人としか。 (アニメを看破した今になって、格闘技好きの関根勤が”カマキリ拳法”を空手バカからコラージュしたと気づきましたがw) で、偶然にもこの時期に、少年マガジンが昔連載されたマンガの”復刻版”をがんがん出していました。(この頃、男の星座の復刻版もなんでか出てて、買った)あしたのジョーやデビルマン、そして、空手バカ一代…すべて、通常の単行本サイズ。ここで思わず空手バカ一代を即買い… あ っ と い う 間 に は ま っ た w 職場に持ち込んだり、同僚に貸したり。自分の中でも 大山倍達>>梶原一騎 へと変わってしまい、レンタルビデオ屋を回って実写映画なども探しまくりました。中身はたいしたことがなかったけど… で、最終的に行き着いたのが ”アニメ版 空手バカ一代” これを見なくては! ところが、どこに逝っても見つからない。古いアニメのせいで、”レンタル”という部類にしても需要がないと思っているのだろうか? 一つだけ見つけたアニメ版も、2つくらいしかなく、それも間飛び。最初の導入部も牛バトルも見れなませんでした。有明がいたのは確認した気がするけど…一番物足りないものを掴んでしまうとは!! どうしてくれるこの不完全燃焼! 当時持っていたパワーマックはキャプチャ標準装備でしたが、HDなんて1〜2GBがせいぜい。CPUも300〜400MHzだったと思う。動画キャプなんて無理無理。泣く泣く画像キャプにとどめ、タイトルのチェストーの蹴り画面だけをキャプって壁紙にしてました。自宅でも会社でもw 熱く盛り上がった管理人の大山倍達崇拝時代は終わり、手持ちのマンガ本を一気に売り飛ばさなくてはいけない事情が発生しました。ここで単行本は手放す。しかしその後文庫本版が発売され、自然に購入してしまう… やっぱりバカw そしてさらに時は過ぎ、自分のすむアパート全棟にケーブルTVが導入されたのが2004年の年末。 そして…2005年夏、運命の”熱闘アニメバトル”が放送され、一気に自分の中の空手バカ熱が吹き返す。 10月中旬、本放送突入。実況大盛り上がり。11月下旬には、いても立ってもいられなくなりまとめサイト立ち上げ。 平日午前0時近辺は毎日最も興奮する時間帯…土日が恨めしい月日。 管理人の大山倍達熱は完全に終わりを遂げました。そう…今度は、 飛鳥 拳 > 大山倍達 になってしまったのでした… '`,、(´;∀;`) '`,、 スカパ実況住民みんなと盛り上がったこの2ヶ月の間、ネットで大山倍達・梶原一騎、そして、空手バカ一代という単語を検索することが自然に増えていきましたが、その中で一つ新たに見つけた情報がありました(例の研究家さんのサイトか、もしくは、耳毛さんの雑誌キャプ画像のネタかもしれない)。 梶原一騎が亡くなる少し前の闘病生活を続けていた頃、ある手紙が届いたという。達筆であったが、名前はなし。そして、病気が良くなることを願った熱い手紙だったらしい。梶原一騎は、一目で誰が書いたのかわかったらしい。 「大山だ…あいつはそういうやつなんだよ」 梶原一騎は号泣したという。仲違いはしても、二人ともお互いを尊敬し合っていたのでしょう。 このエピソードを読んだ時、管理人の心が決まりました。 放送が終わったら、一度、大山総裁の眠る護国寺にお参りに行こうと。 そして本日2005年12月17日(土)、先生、いや、総裁に会ってきました。無事、報告も済ませました。 「この二ヶ月間、みんな先生の魅力にくぎづけでしたよ!」 改めて大山総裁・梶原一騎氏の御冥福をお祈りします。
護国寺前。東京メトロ有楽町線の護国寺駅の1番出口から出てすぐのところです。あんまり近くだったので、管理人もおもわずあんぐりしました。
何も食わずに出て行ったので、とにかく飯を食うことに。目の前にあっためしや丼で遅い朝飯ゲット! 食券を買い注文してから、すき焼き定職があることに気づく。大失敗! 有明、肉はまだか…とかやれたのに (´・ω・`)ショボーン
お墓の右側には、八重の塔?のようなものが。 一番下の部分には、極真のマークが掘り込まれていました。
__ 総 | 裁 | 。 墓 | ∞ ('A`) 有明ときたら大変な甘党だったからな......... ──┐ ∀ << )
※お供えしたサイダーと大福は、スタッフ管理人がおいしく頂きました。
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